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2015年6月15日
【会議録】我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会
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【浜田委員長】
質疑の申し出がありますので、順次これを許します。長島昭久君。
【長島委員】
おはようございます。民主党の長島昭久です。
本委員会の議論も三十時間を超えて、いよいよ法案審議の深掘りをしていこう、こういうところだったんですが、そのやさきに、六月四日の衆議院の憲法審査会で、三人の憲法学者から、この法案そのものが憲法違反である、こういう指摘を受けまして、議論は約一年前に逆戻り、フィルムが巻き戻されていく、そういう感じに、振り出しに戻りました。
しかし、国権の最高機関であるこの国会で、違憲のそしりを受けるような法律を成立させるわけにはいきません。これからこの問題は絶対避けて通れませんので、私はできれば法案の中身についての議論をもっともっと深めていきたいと思っておりましたが、きょうは、この憲法問題についてまずお尋ねをしたいというふうに思います。
私は、正直に申し上げますと、政府の憲法解釈というのはもう少し柔軟なものだというふうに思っていました。時の与野党の勢力バランスとかあるいは国際的な諸情勢、こういったものを勘案して、憲法の規範のぎりぎり許される範囲で、政策判断としてその時々で出されてきたのが政府解釈だというふうに私は実は理解していたんです。
もともと吉田総理が制憲議会で御発言になっていた、自衛戦争も許されない、こういった議論はその後覆されましたし、自衛隊が創設される前までは、九条二項によって禁止されている戦力とは近代戦争を遂行する実力だ、こう言われていた。しかし、さすがに自衛隊をつくって、それが近代戦争も戦えないようじゃしようがないから、苦肉の策で、必要最小限度に満たないものは許されると。こうやっていろいろ、時代の変遷、国際環境の変化の中で可変的なものではないのか、私はこういうふうに実は思っていたんです。
しかし、今回政府は最高裁の権威まで持ち出して、法制局長官を中心に詳細な法理を駆使してそういう説明を試みておられますので、私も当然のことながらそれをフォローせざるを得ません。政府には国民の皆さんが十分納得できるような説得力ある説明をぜひしていただきたい、このように考えております。
まず第一点、最高裁の砂川判決の位置づけについて。きょうでぜひ砂川判決に関する議論はもう終わりにしたいと私は思っているんです。
砂川判決の概要は、皆さんのお手元の一ページ目、二ページ目。これは国会図書館の資料をそのままコピーしてまいりました。
実は、砂川というのは私の地元なんです。立川市、昔は砂川町と言われていましたけれども、私の地元でありまして、ここで米軍が立川基地というのを戦後保有しておりました。昭和三十年に、この立川基地を他の基地とともに横田も含めて拡張するということが米側から要求されたんですね。そのことによって、この砂川地域の皆さんが、それは困る、それは許せないということで立ち上がったのをいわゆる砂川闘争というんです。
これは有名な言葉があって、土地にくいは打たれても心にくいは打たれない。こういうスローガン、全国的にも有名になりました。とにかく測量とかでくいを打たれていくわけですけれども、いや、我々の心にまでくいは打たれないんだということで非暴力でずっと抵抗していたんですけれども、この十四年間の砂川闘争の最中には時折流血の惨事もありました。しかし、この闘争の結果、昭和四十四年、土地収用認定の取り消しが行われて、この闘争は終息をいたします。
今では、三分の一を昭和記念公園、三分の一を陸上自衛隊の立川駐屯地、そしてあとの三分の一を官公庁のスペース、こういうことでみんなで共有しているわけですけれども、私は砂川を地元とする国会議員としてもこの砂川判決をこれ以上もてあそばれるのは忍びないわけでありまして、きょうぜひこの問題は決着をつけたい、こういうことであります。
砂川判決は、今さら私が申し上げるまでもなく、裁判で問われたのは、駐留米軍が憲法九条二項で言う戦力に当たるかどうかですね。最高裁の判決は、この九条二項で禁じられた戦力とは我が国の指揮権や管理権を行使するものであって、外国軍隊はそれに該当しないと判示したんです。しかし、その駐留米軍の合憲性については統治行為論で判断回避をした、こういうことであります。
したがいまして、この最高裁判決は、自衛隊の合憲性も自衛権の内容も、ましてや集団的自衛権についても判断していないんですね。これが、専門家はもとより、私たち法学を少しでも勉強した者のまさに一般常識に近い理解だろうというふうに私は思うんですが、法制局長官、いかがですか。
【横畠政府特別補佐人】
まず、一般論として、最高裁判所の判決、裁判で示された判断のうち、厳密に当該具体的な事件を解決するために必須の判断で裁判の結果に反映されている部分と、必ずしもそうとまでは言えない部分とがございます。
この後者の部分でございましても、憲法第八十一条により違憲立法審査権を与えられた最高裁判所が当該裁判の結論に至る判断の過程の中で考慮し、あえて法廷意見として裁判書の中で憲法の解釈について言及している場合、そこで示された法理には厳密な意味での判例としての法的効力まではないわけでございますけれども、それなりの重みがあり、権威ある判断として尊重すべきものと考えられます。
この点は、裁判所法第十一条によって、最高裁判所の裁判書に表示される各裁判官の意見、補足意見、意見、反対意見とございますけれども、それらが当該裁判を理解する上での参考になるということよりも重く、また下級裁判所が当該事件を解決するために必要ではない事項を裁判所の判断として裁判書に記載した、いわゆる単なる傍論と言われるものとも異なるというふうに理解されるところでございます。
【長島委員】
今、法制局長官は、それなりの重みがある、こういうことをおっしゃいました。
それでは、過日、憲法審査会で自民党の高村副総裁が御意見をお述べになって、最高裁の砂川判決で集団的自衛権というものを根拠づけているんだという趣旨の御発言をされましたが、重く受けとめるという今の御発言と、最高裁砂川判決によって集団的自衛権というものが許容されているんだ、あるいは根拠づけられているんだ、こういう世間の誤解が広がっているんですよ。その点についてもし事実誤認があるならば、きちっとこの場で正してください。
【横畠政府特別補佐人】
まさに、どのようなものとして重く受けとめるかということが重要でございます。
そこで、砂川事件に係ります昭和三十四年十二月十六日の最高裁判所大法廷判決は、まさに旧日米安保条約に基づくアメリカ合衆国軍隊の駐留が憲法第九条第二項前段に違反して許すべからざるものと判断した原判決を誤りとして破棄したものでございます。その判断に至る過程におきまして、次のようなことが示されているわけでございます。
一つとして、憲法第九条についてでございますが、「同条は、同条にいわゆる戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止しているのであるが、しかしもちろんこれによりわが国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されたものではなく、わが憲法の平和主義は決して無防備、無抵抗を定めたものではないのである。」との判示でございます。
二つ目ですが、「わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のことといわなければならない。」との判示でございます。
これらは、自衛隊の合憲性や我が国による武力の行使の可否そのものが争点となった事件について示されたものではないわけでございますが、その判断の過程においてあえて考え、かつ判決書にも法廷意見として記載されているということでございますので、その意義をどのように評価するかということでございます。先ほども申し上げましたが、その部分は厳密な意味での判例としての法的効力を持つものではないことは当然の前提でございまして、その上で、最高裁判所の権威ある重い判断であるとしてどのように受けとめるかという問題であろうかと思います。
ところで、砂川判決は、今御紹介したとおり、固有の自衛権というのみでございまして、個別的自衛権、集団的自衛権という区別をして論じていないわけでございます。このことは、国際法上、国際連合憲章において両者の区別があるわけで、その区別があるものの、憲法におきましてはそもそも自衛権についての規定がなく、その区別自体が憲法上のもの、憲法に由来するものではないということと整合するものと理解されます。
実は、今日におきましては、自衛権といいますと、個別的自衛権にしろ集団的自衛権にせよ、武力の行使を正当化する権利として整理されておりますが、当時におきましてはややそれよりも広かったのではないかとうかがえます。すなわち、他国の軍隊に駐留を求めることや基地の提供なども自衛権の問題として議論されていたことがうかがわれるわけでございます。
現に、昭和三十四年の砂川判決の翌年に当たりますけれども、昭和三十五年三月三十一日の参議院予算委員会において当時の林修三内閣法制局長官が答えておりますが、「密接な関係のある他の外国が武力攻撃を受けた場合に、それを守るために、たとえば外国へまで行ってそれを防衛する、こういうことがいわゆる集団的自衛権の内容として特に強く理解されておる。この点は日本の憲法では、そういうふうに外国まで出て行って外国を守るということは、日本の憲法ではやはり認められていないのじゃないか、」「そういう意味の集団的自衛権、これは日本の憲法上はないのではないか、」と言った上で、「現在の安保条約におきまして、米国に対して施設区域を提供いたしております。あるいは米国と他の国、米国が他の国の侵略を受けた場合に、これに対してあるいは経済的な援助を与えるというようなこと、こういうことを集団的自衛権というような言葉で理解すれば、こういうものを私は日本の憲法は否定しておるものとは考えません。」と答弁しているところでございます。
その上で……(発言する者あり)大事なところ、極めて大事なところでございます。
【浜田委員長】
静かに。
【横畠政府特別補佐人】
その上で、岸内閣総理大臣におきましても「いわゆる集団的自衛権というものの本体として考えられておる締約国や、特別に密接な関係にある国が武力攻撃をされた場合に、その国まで出かけて行ってその国を防衛するという意味における私は集団的自衛権は、日本の憲法上は、日本は持っていない、かように考えております。」と答弁しておるわけです。
判決に言う自衛権は、武力の行使を正当化する権利として整理される厳密な意味での自衛権に限定されず、かつ個別的自衛権、集団的自衛権という国際法上の区分に立ち入ることなく、憲法の観点から、広い意味での自衛のための措置をとる権利を意味するものとして用いられている概念であると理解されます。
【浜田委員長】
長官、できるだけ答弁は簡潔に願います
【長島委員】
長官、私、何を質問したか覚えていないですよ。忘れちゃった、本当に。
私は、今の岸内閣の集団的自衛権の考え方というのは、昔から勉強して、非常に興味深く思いましたよ。集団的自衛権という概念を、これは佐瀬昌盛さんの言葉ですけれども、中核概念を定めて、それ以外はできるんだと。したがって集団的自衛権そのものを全部否定しているわけじゃないんだという岸総理の答弁もありますよ。
だから、今回、そういうロジックから援用してきて、これぐらいの集団的自衛権なら認められるじゃないか、そういう導き出し方だったら私もわかる、理解できるなと思っていたんです。しかし、全くそういうロジックではなかった。
しかも、私が聞きたかったのは、長官、この砂川判決で集団的自衛権が根拠づけられたのかどうか、その一点なんですよ。これを聞いているんです。これはイエスかノーかでお答えください。(発言する者あり
【浜田委員長】
静粛に願います。
【横畠政府特別補佐人】
まさに、集団的自衛権という言葉で何を理解するかというのが前提でございます。そういう意味で、先ほど、ちょっと長くなりましたけれども、前提として申し上げました。
その上で、砂川事件の判決は、「決して無防備、無抵抗を定めたものではない」、あるいは「自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のこと」と述べていることからすると、あくまでも我が国自身の防衛としての自衛について論じているものと理解されます。
そうだとすると、その判示の射程について、あえてですが、国際法上の個別的自衛権、集団的自衛権という区分を前提として申し上げるならば、自国防衛のために武力の行使をする個別的自衛権を読むということは容易でありますけれども、他国防衛のために武力を行使することが権利として観念される国際法上のいわゆる集団的自衛権、フルセットの集団的自衛権と呼んでおりますけれども、その全体にまで及んでいるとまで言うことはなかなか難しいと考えられるところでございます。
しかしながら、ここが重要なのでございますけれども、今般の新三要件のもとで認められる限定された集団的自衛権の行使、すなわち他国に対する武力攻撃の発生を契機とするものであることから国際法上は集団的自衛権として違法性が阻却される武力の行使ではありますが、あくまでも我が国の存立を全うし、国民を守るため、すなわち我が国を防衛するために必要やむを得ない自衛の措置につきましては、砂川判決において論じております我が国自衛のための措置を超えるものではなく、同判決に言う自衛権に含まれるというふうに解することが可能であると考えております。
【長島委員】
今、法制局長官、この判示の射程に集団的自衛権は含まれると。(発言する者あり)限定的な。含まれるが、それはフルサイズではない、こういう言い方をされましたね。
つまりは、その砂川判決を根拠に、その後、半世紀、今日に至るまで、どこかのタイミングで法制局として、その限定的なる集団的自衛権を場合によってはお認めになる余地があったということですか。
【横畠政府特別補佐人】
今回の新三要件でお示ししました限定的な集団的自衛権という考え方そのものが昨年の七月以降に整理された考え方でございまして、それ以前において集団的自衛権と呼んで議論していたものは、フルセットの集団的自衛権について議論していたということでございます。
【長島委員】
いやいや、そんなことない。安倍総理が幹事長のときだったかな、量的概念、質的概念というところで限定的な集団的自衛権の行使については議論されていますよ、既に何度も国会で。去年の七月から始まった議論じゃないですよ。
つまり、はっきりさせましょう。砂川判決で集団的自衛権の一部は昭和三十四年の段階からずっと認められる余地があった、この御答弁でよろしいですか。
【横畠政府特別補佐人】
まさに、論理的な可能性といたしましては、自国防衛に限定する、しっかりと限定するのであれば含まれ得るという理解が可能であったということになろうかと思います。
【長島委員】
にもかかわらず、当の高村外務大臣は当時、集団的自衛権について問われたときに、砂川判決を引用してきて限定的な余地はあるんだけれども今は国際情勢の事情からそれはとらないとかなんとかという答弁ではなく、フルスペックの集団的自衛権の話なんかしていないんですよ。
ですから、ちょっと法制局長官に確認したいのは、我が国の政府が集団的自衛権をフルサイズの、フルスペックの集団的自衛権と観念し始めたのはいつからですか。
【横畠政府特別補佐人】
集団的自衛権というものは、先ほどお話ししたように、武力の行使が正当化される根拠でございまして、基本的には国際法上の概念でございます。
その意味で、本来、集団的自衛権といえば、他国防衛を本質とするとかいろいろな言い方がございますけれども、フルセットの集団的自衛権というのはまさに他国を防衛するということに当然及ぶ、その場合、当該外国まで出かけていって戦うということも含んでいる、そういうまさにフルセットの集団的自衛権、それについて当初から議論していたわけでございまして、限定的なという考え方で切り出そうということになったのは昨年七月以降ということでございます。
【長島委員】
今、法理的なことを聞いているんです、法理的なことを、長官。集団的自衛権をフルで、フルサイズで観念し始めたのは、この前の説明ですと、四十七年の政府見解のときはそうだった、こういう話をされました。
昭和三十四年の砂川判決のときはどうだったんでしょうか。
【横畠政府特別補佐人】
砂川判決自身は集団的自衛権という言葉を使っていませんので、まさに言及していないわけですから、砂川判決自身がどう考えていたかはわかりません。
【長島委員】
いやいや、砂川判決が触れなかったけれども、そこで言う自衛権に集団的自衛権も含意されているという見解なんでしょう。そうじゃなかったら、その後の論理が立たないですよ。
含意されていると言いたいんじゃないんですか、長官。
【横畠政府特別補佐人】
先ほど御答弁申し上げたとおり、フルセットの集団的自衛権まで含意するということを考えているわけではございませんで、あくまでも自国の防衛という意味での自衛権ということで砂川判決は議論しているので、その限りにおいて、国際法上は集団的自衛権ということで違法性が阻却されるわけでございますけれども、その実態、本質は、我が国を防衛するための必要やむを得ない、必要最小限の措置というものには及ぶのではないかということをお答えしているわけでございます。
【長島委員】
では、今、砂川判決の当時はフルサイズの集団的自衛権は観念していなかった、こういうふうにおっしゃいましたね。
そして、四十七年の政府見解を整えたときには、フルサイズの集団的自衛権を観念し、それを拒否した、こういう理解でよろしいですか。
【横畠政府特別補佐人】
昭和四十七年の政府見解は三つの部分からできておりまして……(長島(昭)委員「いや、それはもう書いてあるからいいです」と呼ぶ)省略します。
いわゆる一の部分というのは、砂川判決の趣旨と軌を一にするということを申し上げているわけです。自衛権は否定していない、無防備、無抵抗を定めているわけではない。
二の部分は、そうだといっても、自衛のためといえば何でもできるということではなくて、やはり憲法上の制約があるだろうということで、その要件をきっちり書いているわけで、そこにおきましてポイントとなるのは、外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆されるという急迫不正の事態に対処するという、まさに究極の場合、ぎりぎりの場合に限って武力の行使ということが自衛のためといっても許される、それに限るという、そこまでの考え方でございまして、そこの基本的な考え方は現在も全く変わっていないし、それは砂川判決と軌を一にする、そういうことを述べているわけでございます。
【長島委員】
法制局長官もたびたびおっしゃっていますけれども、集団的自衛権という概念は国際法上の概念だ、したがって、これはもうフルサイズで観念する以外にないんだと。四十七年の見解はそれに基づいているわけですよ。
ですから、それを砂川判決のときにだけ何か限定的な意味で理解していたというのは、ちょっと私は腑に落ちない。私たちはみんな、自民党の皆さんも含めて、腑に落ちないのはなぜかというと、何となく、この砂川判決の……(発言する者あり)
【浜田委員長】
静粛に願います。
【長島委員】
砂川判決の法理というのが後知恵に聞こえるんですよ。だから、これだけ、私でもこんなにこだわって法制局長官に質問しているわけですね。このことを本当にもう少し、長官、しっかり御答弁をいただかないとなかなか納得されない、こう思いますよ。
もう一つ聞きます。
六月十日の本委員会で、民主党の辻元委員の質問に答えて法制局長官はこういうふうに言ったんですね。さっき法制局長官が言った一と二の基本的論理に基づいて、現下の安全保障環境の変化というものを当てはめて結論を導き出した、こうおっしゃった。
当てはめて変えたということであれば、これは質問です、当てはめて変えたということであれば、また安全保障環境が変われば当てはめを変えていいということですね、そして、場合によってはこれはしぼむということもあるんですか、一回拡大したものをもう一回また縮小することもあるんですね、こう問いましたところ、そんな場合は、そういう厳しい環境がないのだということになったとするならば、仮定ではございますけれども、それは、一、二に当てはまるものとしては、我が国に対する武力攻撃が発生した場合に限られるということに、またもとに戻ります、こういう御答弁をされているんです。
これは本当に、よくよく考えられて答弁されたんでしょうか。政府の憲法解釈というものは法規範そのものなんですよ。
六月十二日の朝日新聞に、憲法学者が二人いて、一人は私の友人なんですけれども、駒村圭吾慶応大学の教授が「憲法は、その条文だけでなく、実務的な解釈の集合体として存在する。その意味で、一九七二年の政府見解はすでに「憲法の重み」を持っていると言える。」こう言っているんです。つまり、国会での議論の積み重ねの中で憲法解釈というものは確定している。
それが、安全保障環境が厳しくなったら拡大し、厳しくなくなって緩んできたらまた縮小する。こんな伸縮自在の憲法解釈があり得るんですか。これが本当に法規範なんでしょうか。お答えください。
【横畠政府特別補佐人】
前提として、そんなユートピアみたいなものがあらわれるとは考えておりませんということはお答えしたとおりでございますけれども、あくまでも論理的な問題としてお答えしたつもりでございまして、昭和四十七年見解の一、二の部分は変えようがない、変えることができない、憲法改正をしなければ変えることのできない、まさにそういうものである、基本原理と申し上げていますけれども、であると。
それで、三の部分、つまり我が国に対する武力攻撃が発生した場合でなければ絶対に、外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆されるという急迫不正の事態というものが起こり得ないのかというと、そこはやはり現実の認識というものが当然踏まえられるべきものであろうというふうに考えているわけでございまして、そういう意味で、変えることのできない解釈、ルールではなくて、まさに現実を踏まえて、それがどのようなものというふうに理解するかということを述べたのが三の部分ということを述べたつもりでございます。
【長島委員】
長官、憲法解釈というのはぎりぎりの幅を示すんでしょう。今の長官の御答弁は政策判断の話ですよ。外部環境が変わったらその当てはめが変わる、それは政策判断として変わるんですよ。
今まで内閣法制局は、ずっとこの間、集団的自衛権は法的禁止ということで説明してきたんですよ。しかし、私は、最初に申し上げたように、いや、そうじゃないんじゃないかと。憲法は、規範のぎりぎり許される範囲内で政策判断として、政策判断が伸縮するのは私も理解できますよ、しかし、憲法解釈の限界を画した今回の政府解釈がまた外部環境が変化すると縮小していくなんということは、とてもとても本委員会で認めるわけにいかないですよ。明らかにおかしい、法解釈として。法規範を形成している、そういうやはり自負がおありでしょう、法制局長官にも。
だから、中曽根総理も言っておられるんですよ。国際情勢とか国内情勢の変化によってそういう解釈が変更されるというのは、法制局の見解が法律論ではなく政策論だということを示している、法制局は政策論を法律論にすりかえている、そんなものに政治家や立法者が乗ってはいけない、そうすると、個別的自衛権は必要最小限度の中にあるから行使できるが集団的自衛権は必要最小限度を超えるから行使できないという法制局の見解も実は政策論であって、そういう判定自体が間違いだというのが私の考え方であるという、これは中曽根さんの考え方なんですよ。私も相当程度これを共有します。
今法制局長官がおっしゃったような、法解釈としてその限界が伸縮自在に動くなんということを、私は到底受け入れるわけにはいきません。そのことだけ申し上げておきたいと思います。
先に行きたいと思います。今回の当てはめの議論で大事なのは、安全保障環境の変化、そうですね。この安全保障環境の変化に当てはめて今回政府解釈を変更した、こういうことであります。そうなると、どうしてもひっかかる。
中谷大臣に伺いたいんですけれども、冷戦期はどうだったんだろうか。
私、きょう、皆さんのお手元に資料を幾つか用意してまいりました。五ページ目「アフガン、親ソ派クーデター」。これは、後にソ連がアフガニスタンを侵略、侵攻したということになっていますね。実は私はこの事件が、国際政治をやりたい、そういう政治家になりたいと志した原点でもあるんですけれども。
それに対して、次のページ。アメリカはオリンピックまでボイコットしています。そして海軍力をいよいよ、アメリカがもう一回巻き返して、ロールバックでソ連に対して海軍力を優位にしていこう。優位にしようということは、それまでは劣勢にあった、こういうことであります。
それから、次のページ。極東のソ連軍が脅威だということで、既に五十個師団に増強されている、こういうことで日米の間で合意をした。極東のソ連の脅威は相変わらず拡大していると国務副長官が言う。中曽根総理になって、日本を不沈空母化しよう、四海峡封鎖、こういう政策、そして千海里シーレーン防衛が防衛白書に初めて載った、これが昭和五十八年のことであります。そして、きわめつけは大韓航空機撃墜事件、こういうこともあった。
私は、今日の日本を取り巻く国際環境は厳しい厳しいと言われていますけれども、当時の、つまり一九八〇年以来の新冷戦と言われている、そういう当時の国際環境、日本を取り巻く環境の方がよほど厳しかった、こう思うんです。
なぜそのときに今日のような集団的自衛権限定行使という、当時も中曽根総理のもとでこの集団的自衛権の問題というのはしばしば議論になっていました、当てはめが今回行われたというのであれば、当時なぜそういう当てはめが行われなかったのか。当時の政府として厳しい国際情勢をどういうふうに把握されていたのか、見ていたのか。見解を伺いたいと思います。
【中谷国務大臣】
長島委員とは、二十一世紀の日本の安全保障を確立する若手議員の会、お互いに共同代表で、もう十五年以上議論をしておりまして、安全保障環境というのは今変わってきております。
冷戦と比べまして、やはり当時は、アメリカとソ連という二大国の力の均衡によりまして、世界秩序、民族とか宗教とか地域紛争とか、そういうところが力のバランスによってコントロールされて、世界的な平和と安定がこの力の均衡によってできていたということでございますが、冷戦構造が終えんしたことによって、各地の地域紛争や民族とか宗教といったことで、中東を初めいろいろな国々でもこういった紛争が起こるようになりました。
我が国周辺を見ましても、次の変化として、太平洋のグローバルなパワーバランスが変化しました。例えば、北朝鮮の弾道ミサイルは、一九八九年にはノドンもゼロでしたけれども、二〇一四年には約二百発ありまして、発射回数も二〇一四年までに十回以上、日本が射程に入るミサイルを六発撃っております。
そして、中国。中国も非常に軍事力をつけておりまして、東シナ海、南シナ海における活動の急速な拡大、活発化をいたしております。例えば、新型のフリゲート艦を一九八九年にはゼロであったのが四十六、そして新型潜水艦も八九年までゼロだったのが今四十五、戦闘機も九一年はゼロだったのが六百八十九機ということで、非常に中国のパワーバランスも変化している。
これにあわせて、アルジェリア、シリア、チュニジアなどにおいても邦人が犠牲になったテロ、そして海洋、宇宙、サイバーなどの自由アクセス妨害のリスクが拡散、深刻化しまして、脅威は容易に国境を越えてやってくる、もはやどの国も一国のみで平和を守ることができないということで、昭和四十七年当時と大幅に時代が変わったということでございます。
【長島委員】
昭和四十七年当時とは確かに、あの当時はデタント真っ最中ですから、あの当時に比べたら今回が厳しいのはわかります。
その前に、一九八〇年代に新冷戦と言われている、今私が資料を使ってずっと描写をさせていただきましたけれども、そういう時代がありましたよね。そのときは確かに力の均衡が米ソの間であったといいますけれども、それは米ソの直接対決がなかったというだけであって、極東の軍事情勢は物すごく緊迫していたんですよ、我が国を取り巻く情勢は今の北朝鮮や中国の比ではないですよ。
それは、十三ページの軍事費の比較を見ただけでもよくわかると思います。当時は、米ソは本当に抜きつ抜かれつのぎりぎりの軍拡競争をやっていたわけです。だから、日本だって中曽根政権のもとである程度の軍備を拡張せざるを得なかった、そういう状況でしたよ。今と比べたって少なくとも遜色はないですよ。そういう状況の中でも政府は憲法解釈を変えることなくやってきた。
皆さん疑問に思っているわけですよ、なぜ今回、どこがどう新冷戦のときと比べて厳しくなったからどうしても個別的自衛権だけでは足りないのかと。私は、ここのところをしっかり説明していただかなければならぬと思うんです。
例えば、よくこういうことを言う人がいるんですよ、アメリカの力の相対的な低下が最近はあるじゃないかと。しかし、これを見ていただいたらわかるように、新冷戦の一九八四年、八五年、まさに米ソはぎりぎりの闘いをやっているわけですよ、軍事費で。今日はどうかというと、十三ページの下の図を見てください。中国、ロシアを足したってアメリカにかないませんよ。一番最後のページを見てください。中国以下ドイツまで、全部足してもアメリカの方が上ですよ。圧倒的な力をまだアメリカは保持している。そういう中であるにもかかわらず、なぜ今、憲法の解釈の当てはめまでして集団的自衛権の行使をしなきゃならないのか。
ここのところの説明をしっかりやっていかないと、私はともかくとして、納得できない人は国民にたくさんいますよ。しっかりお答えください。
【中谷国務大臣】
私のときから、長島委員も御存じだと思いますが、米ソ冷戦構造というのは、力の均衡によっていろいろな紛争また対立が抑止されてきたわけでありまして、一九八四年は米ソの力の対立がまさに均衡していたということですが、九〇年にソ連が崩壊して力の均衡がなくなってしまった、これによって各地においていろいろな紛争や脅威が出現したという変化がございます。
残りは外務大臣からお答えいただきたいと思います。
【岸田国務大臣】
基本的には今防衛大臣からお答えしたとおりですが、加えまして、一九八〇年代と今日の安全保障環境、我が国に対するさまざまな危機、リスクに関しましては、簡単に申すならば、質的な変化があるのではないかと考えています。先ほど申し上げましたようなパワーバランスの変化ですとかあるいは北朝鮮の動きですとか、さまざまなものがあります。
そういったものに加えて、例えばアルジェリアやシリアやチュニジアにおける邦人へのテロ等、テロあるいは宇宙、サイバー、こうしたさまざまな新しい脅威が発生しています。国境を容易に飛び越えてくる脅威が存在する、こういった時代でありますので、どの国も一国のみではみずからの平和や安定を守ることができない、これが今や国際的な常識になっています。
よって、我が国を守る際にもそういった視点を重視しなければならない、加えて、どの国も一国のみで平和や安定、繁栄を守ることができない。これは常識になりつつあるわけですから、我が国としましても、国際社会において責任ある立場に立たなければならない、責任を果たしていかなければならない。
そういった観点も含めまして、我が国として今のこの平和安全法制がどうあるべきなのか、こういった議論をお願いしていると認識しております。
【長島委員】
私は、率直な感想を申し上げますと、やはり今の安全保障環境の当てはめも意外と相対的なものなんですよ。それがまず一点。それから、憲法解釈の変更のロジックをつくる際に、高村さんも法律家、公明党の北側さんも法律家、法制局長官も法律家、法律家が寄ってたかっていろいろつくり上げたものだから、相当複雑になっちゃって、すとんと国民の腹に落ちないんですよ。だから、そういうところがありますので、今後やはり政府も相当心して説明していただかなきゃならないということを申し上げておきたいと思います。
ただ、現実の対応は必要です。今両大臣から御説明があったように、私はやはり法制度をきちっとやっていかなきゃいけないと思っています。法制度の細かいところについてはいろいろ異論があります。
私、この前たまたま小野寺さんとある番組に出て議論を闘わせたときに、小野寺さんがこうおっしゃったんです。すごく印象的だった。国民の平和と安全を守るための法案なのに、何で理解されないのかと。これは何で理解されないと思いますか。理解がなかなか進まない。
手を広げ過ぎたとか、あるいは急ぎ過ぎだとか、安倍さんに対する不信感があるとか、いろいろ理由はあると思いますけれども、私は、日本国民が七十年前の戦争に負けた、敗戦のトラウマというのが物すごく根強くあるんだろうと思っているんです。ですから、こういう議論も、そのトラウマをもう一回乗り越えるような議論をしていかなきゃいけないと私は思っています。
トラウマは二つあるんですよ。一つは、二百六十万の同胞を失った、惨たんたる敗戦なんです。この敗戦の余りにも悲惨だったがゆえに、そのことがトラウマになっているんです。
それから、もう一つは政府不信なんですよ、政治不信。しっかりとした情報も与えられないまま、どんどん引きずり込まれていった。四千人もの若い有為な人材が特攻で死んでいった。外地で命を落とした兵士の皆さん、六割、七割は餓死ですよ。こんな戦争指導で引きずり回されて、そして国を荒廃に陥れられてしまった、そのことのトラウマを今でも引きずっているんです。
だから、今回の安保法制、ホルムズの機雷掃海だ、やれ他国の戦闘に対する後方支援だといきなり言われても、我が国の平和と安全に直接かかわるようなところだったら、今御説明いただいたように、北朝鮮の脅威がある、中国の海洋進出もある、そういうことに対しては領域警備も含めてしっかりやっていこうねということは、恐らく多くの国民は共有していると思うんですよ。
国民の皆さんが持っている不安、もっと言えばトラウマ、敗戦のトラウマ、これをきちっと乗り越えられる、そういう皆さんも納得できるような時間がやはり必要なんですよ。だから、衆議院で八十時間をめどにしてどんどん急いでやっていけ、こういうやり方ではだめです。
私は、与党も野党もだめだと思っています。相互不信があるんですよ。野党側には、与党がどんどん説明を適当にしてばんばん進めていくという、前のめりになっていることに対する不信感が物すごくあるんです。与党は与党で、どうせ野党は最後は反対するんだろう、ただただ時間を引き延ばしているだけじゃないか、そう思っておられるんでしょう。私は、この大事な議論は与野党ともにこの相互不信感を乗り越えたところで本当に真摯に行われなきゃだめだ、そう思っていますよ。そうでなかったら、恐らく、憲法改正ですっきりやった方がいいという議論に負けますよ。
だから、私も、まだまだやりたいことがたくさんありますから、真摯にこれから議論していきたいと思いますけれども、今のような説明と今のような曖昧な形では、とてもとても日本人がこれまで経験してきたトラウマを乗り越えることはできません。
そのことだけ申し上げて、しっかりと審議をしてこの結論を得ていく、こういう姿勢を貫いていただくことをお願いして、質疑といたします。
ありがとうございました。
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