しかしその後、民主党は選挙で大敗し、政権を再び自民党へ明け渡すことになります。なぜ、こんなことになってしまったのか。ここでは、語りません。が、しかし、筆舌に尽くし難い思いでした。
それでも、いつか必ず与党に返り咲き、政府の一員として日本の外交安保政策をリードしてみせる! その気概は、全く失っていませんでした。政権時代の経験を活かし、引き続き「外交・安全保障に与党も野党もなし、あるのは国益のみ」という信念のもと、建設的な政策提言に徹します。遠回りなようですが、これが、政権交代、 延いてはその後の政権運営に必要不可欠だと信じていたからです。
二大政党制を根付かせるためには、野党は単に政権を批判するだけでなく、責任感と現実感をもって「我々であればこうする」という将来像を示し続けなければなりません。野党であっても「責任政党」だということを忘れてはならないはずだからです。
しかしここで、所属する民進党(民主党から民進党に党名変更)の方針と、決定的に食い違ってしまいます。共産党との選挙共闘の方針が示されたのです。これは、民進党の、責任政党から「万年野党」への変化を意味していました(そして、誠に残念ながら、実際にそうなってしまいました)。
何がなんでも、とにかく政府を批判するのは、わかりやすくはありますし、ある一定の支持を獲得するには、間違いなく効果的でしょう。しかしそれでは、良識ある大多数の日本国民の支持を失うことになります。この路線なら、選挙にはある程度勝てるかもしれない。政治家の生存戦略としては、合理的かもしれない。でも、政権は取れないし、仮にとれても、運営はできません。
党がこのような状態に陥り、私自身は、政治家として如何にすべきか。悩みました。しかし、私の政治家としての原点に立ち返ってみると、答えは明白でした。